- 全体
- 全体2
- 全体3
- 花
- 花2
- 花3
- 葉
- 葉2
- 葉3
- 学名の曲折
やや薄暗い沢沿いの北向き斜面に群生していました。
(2011.6 尾瀬)
30cm近く茎を伸ばして、葉、花を付けていました。
(2011.6 尾瀬)
花は下を向く傾向が顕著。
上から撮ると1つもこっちを向いてくれてない。(2011.6 尾瀬)
花弁に見えるピンク色のものは内萼片で、6枚。さらに外側に3枚の外萼片がありますが、
早落して写真では見られません。内側の白いものが花弁です。(2011.6 尾瀬)
外萼片がまだ残っているもの。外萼片は3枚あり、早落します。
(2011.6 尾瀬)
花柄は対生する葉の間から出るように見えますが、葉が出る場所より上にも茎が存在します。が、極端に節間が短く、このように束生して見える。(2011.6 尾瀬)
葉には長い柄があり、3出複葉。
(2011.6 尾瀬)
小葉は円心形で欠刻状に浅裂します。
(2011.6 尾瀬)
葉裏。脈が浮き出ます。
(2011.6 尾瀬)
以下、経緯などを調べてみました。 トガクシソウは1975年に伊藤謙によって始めて採種され、甥の伊藤篤太郎の依頼で日本の植物に造詣の深いロシアのマキシモブィチが同定しました。 その後、1987年に東京帝大・矢田部良吉の依頼でマキシモブィチにより再同定が行われ、新しい別の属であることがわかり、それを知った伊藤篤太郎が単独で新属名を Ranzania として、1988年、英国のJournal of Botany, British and Foreign誌に発表しました。そのため、新学名に「(T.Itô ex Maxim.) T.Itô」=伊藤篤太郎の代わりにマキシモブィチが発表したものを伊藤篤太郎が書き換えた・・・という著作者名が記述されています。 日本人最初の学名は、マキシモヴィチの力による所が大きかったようで、日本人人身の同定による初の学名は、翌年の1889年、牧野富太郎によるヤマトグサのようです。 Wikipedia、Y-List、のホームページを参照して記述しました |